宇奈月大沢野線 起点宇奈月町下立 終点旧大沢野町笹津 平成5年認定
この区間は険区間で結構有名ですねぃ。特に池原隧道1〜3号の三つのトンネル。
この辺りについてはおばちゃんちょいと語りますよ。
何でかと言いますと、思いっきり地元だからです。
一番最初に自分で通ったトンネルが池原隧道だったりします。
池原隧道との最初の出会い…。
あれは今からン十年前小学3年生でした。
一人自転車であちこちウロウロする徘徊癖があり、いつも寺家公園まで行っていたのです。
寺家公園まで行って何をするかと言うと、三十三番を回って、各所の石仏に飴玉を供えてくるのです。
飴がなかったら、そこいらで摘んで来たお花(雑草とも言う。w)
渋い遊びの私ですな。
幼い頃から気質は既におばちゃんですねぃ。
そうこうしている内に、寺家公園よりも奥に続く細い道が気になるわけです。
県道67は今でこそ舗装路ですが、その頃は当然ダート。
自転車で行くにはつらいので、テクテク歩いて行ったのですよ。
なぜそんな所に向かおうかと思ったのか?は先生より聞かされていたあるお話に関心を示したからなのです。
池原の辺りに行った方はご存知と思いますが、寺家より行くと2つ目と3つ目のトンネルの間に廃村がありますよね。
あの集落から船峅小学校まで毎日通っている先輩がいたっちゅーことなのです。
しかも徒歩で…。幼い小学生が…。(つД`)
今思うといじらしさで感慨に耽ってしまいます。
んで、当時小学3年の私は考えた。子供が毎日通ってくる道だし、私にも行けるんだ!
妙な自信で自転車をキコキコしながら坂道を池原集落に向かって漕いだです。
しばらく行くと池原一号トンネル出現。素直にビビリました。
今よりも遥かに純粋で感受性満載な頃です。酸いも甘いも噛み分けていない児童ですよ。
鬱蒼とした山の中にぽっかり開いた穴ぽこ。
怖いっすよ。見た瞬間心臓がザワザワ〜ってなるくらいに。
それでもどこかネジの飛んだ子供だったので、そのままキコキコ進んだです。
中は素彫りに岩むき出し。(現在のようにコンクリ吹きつけなんて芸当してないです)
その時に何を思って進んだのかは今となっては知る由も無いのですが、とにかくトンネルを抜けてホッとしたと思います。
子供って後の事考えないのよね。帰る時も通らなくちゃいけないのに。
山の中の散策が好きな子供だったので、
しばらく進むとトンネルのこともすっかり忘れ気持ちよくキコキコ。
Σ(・ω・ノ)ノ そこに第二のトンネル出現。
一回目よりも二回目に出現の方が恐怖する事をそのとき学んだような気がします。
ホラー映画の恐怖シーンでも一度目の恐怖を知ったからこその二度目の恐怖が盛り上がったり。
恐怖の蘇りですな。(三度目は慣れる。)
その時は第二トンネルで挫折して戻ったように記憶しとります。
んが、中学生の頃には自転車で池原隧道三連発をすっかり平気で抜けれるようになり、
定番お散歩サイクリングコースになってました。
でも、社会人になり軽四で向かったときは恐怖でした。
今まで気にもしなかった幅が恐怖でした。(-ω-)ゞ
そういえば、今のスターレットを購入した時に一番に思ったのは、
「ああ。これで池原トンネル行けなくなったなぁ」ですかね…。
それくらいに馴染みのある池原隧道がよもやここまで有名に出世するとは地元民としては
嬉しい限りなのです。
使用車 TT250Rレイド 2005.6〜複数日探索
右画像 変則四差路本線は左にカーブして進みます。
直進は結局は県道67に繋がります。
右折は直坂。猿倉スキー場方向。
右画像 県道65より、県道67の単独区間を見ています。
右画像 寺家公園正面を過ぎて、直の交差点を左折。
寺家公園駐車場に向かいます。
右画像 険区間の1車線になります。
昔はここに「軽四自動車以外の通り抜け不可」の看板がありました。
今でこそ(;゚∀゚)=3ハフンハフンなおばちゃんですが、子供の頃はΣ(・ω・)ビビクンッでした。
ちゅーか、もしスターレットで来たらば(絶対来ないけど。)今でも(((( ;゚ω゚)))))ってなるです。
補足・一号隧道の上は寺家公園の三十三番巡りの遊歩道があります。
右画像 林道に入って直ぐ左折します。
林道よりも狭い横道が県道67。
ちなみに林道を直進は御前山林道に繋がります。
二号トンネルの大山側入口前は広くなっていて、碑があります。
林道記念碑だそうです。
側の道祖神には新しいお花が供えてあります。
こういうのを見るとついムラムラと供えたくなる…。w
右画像 道路横の杉木立がガードレール代わり。
(,,^∀^)
右画像 後方を振り返って撮影。
冬季閉鎖用のポールがあります。
小佐波御前への登山道。
かなり上まで車両が入れるので、いつかレイドで行ってみるのです〜。
(´∀`)♪